2011年5月から153日間、夫と世界を散歩しました  現在はニューヨークで新たな挑戦に挑んでいます!

2011-08-15

体を横にできず、62時間

内モンゴルのフフホトから新疆ウイグル自治区のウルムチへ行くには、蘭州で列車を乗り換える必要がある。フフホト駅で蘭州→ウルムチ行きは満席と言われたので、とりあえず、蘭州まで行くことにした。

無座の乗客でいっぱい
中国の列車は席が5種類ある:
软铺(柔らかいベッド)
硬铺(硬いベッド)
软座(柔らかい席)
硬座(硬い席)
無座(席なし)

フフホト→蘭州はほとんど満席で硬座と無座しか空いてなかった。19時間の長旅。少なくとも硬いベッドがほしかったが、ない時は仕方ない。あるもので我慢。硬座を2枚購入した。車内はレトロな香りがした。冷房の変わりに扇風機。席は椅子ではなくベンチ。硬座といっても、多少柔らかい。でも、リクライニングできない90度の席は決して座り心地がいいとは言えない。

向かい合わせに中国人男性二人が座った。30代の若い男性と40代の中年男性。話しかけてみたら、私は中国人、Yoshiはモンゴル人と勘違いされてしまった。若い男性はおとなしく、口数が少なかった。40代の男性はおしゃべり好きで、311のことなど、今の日本の状況に興味深々だった。しばらく話していると、中年男性の愛国心がじわじわ出てきた。「あと20年もすれば、中国はアメリカも日本も追い越し、世界一になる!」と、熱く語っていた。

出発から3時間後に中年男性は列車を下りた。ようやく静かになるかなと思っていたら、もっとおしゃべりでもっとクセのある男性が乗ってきた。彼も40代ぐらい。私が中国語を話せると知ったら、マシンガントークで日中戦争のことを語り始めた。南京事件を始め、戦争中に日本が中国に対していかにひどいことをしたか説教された。攻撃的ではなく、フレンドリーな感じで話してくれていたのだが、かなり一方的だった。どう答えたらいいのかよくわからず、「そうですね、はい」と聞き役になることにした。しかし、4時間ぶっ続けで日本の悪口を言われるとかなりまいる。

夜になり、ようやく静かな時間が訪れた。少し寝れたものの、数時間に一度車内掃除が行われ、なかなか休めなかった。このビデオは夜中の3時に撮影したもの↓



薄暗いバス停
蘭州に到着したのは翌朝の9時半。まず最初にウルムチ行きの列車のチケットを購入することに。しかし、席はすべて満席。一番早くウルムチに行けるのは3日後。無座はあったが、20時間以上立ちっぱなしは辛い。結局、列車はあきらめ、バスで行くことに。出発は8時間後の午後5時。エアコン付きの大型バスで23時間と言われた。大型バスなら席はリクライニングするだろうと期待してたが、エアコンは壊れていて、席は列車の硬座のように90度のまま動かない。前の席との隙間も少なく、私たちの短い足でもひざがあたってしまうほど狭かった。

バスの中ではプロパガンダ的な音楽が流れていて、その中でも印象的だったのが、「一个妈妈的女兒」(ひとつの母)という曲。
サビ:蔵族和漢族是一个妈妈的女兒。我們的妈妈叫中国。
私なりに和訳してみた:チベット民族と漢民族は同じ母親を持つ。その母親は中国だ。

ほこりとタバコの煙でマスクを手放せなかった
バスの中はウルムチへ出稼ぎに行く労働者でいっぱいだった。みんなとてもいい人たちでほっとした。問題は道路。高速道路がウルムチまで走っているが、工事中の箇所が多く、なんども迂回させられた。事故渋滞も多く、なかなか前に進めなかった。23時間のはずがなんと37時間もかかってしまった!37時間も同じバスに乗り続けるのは初めての体験で、あれが最後であることを願う。

フフホト→ウルムチまで62時間、一度も体を横にすることができなかった。

0 件のコメント: