2011年5月から153日間、夫と世界を散歩しました  現在はニューヨークで新たな挑戦に挑んでいます!

2011-12-31

一つの旅 二つの視点

今年も残り1日となりました。
364日前に始めたこのブログ。
今日が最後の投稿となります。

皆さん、1年間フォローしてくださり、本当にありがとうございました。
153日間、旅に出て、お互いの絆がより深くなったと実感しています。
それでも、まだ幼い夫婦として、学ぶことがたくさんあります。

ブログはお互いへのプレゼントです。
1年間、一度も相手のブログを読まずに過ごしました。
2012年元旦にプレゼントする予定です。
1年間かけて書いたブログだから、1年間かけて読むのも楽しいかも・・・

最後になりますが、旅で訪れた街の名前とその意味をほんの少しだけ紹介します。

レイキャヴィック <煙の湾>
コペンハーゲン <商人の港>
ストックホルム <丸太の島>
ウランバートル <赤い英雄>
ウルムチ <美しい牧草地>
ベオグラード <白い街>

2011-12-20

いえいえ、どうもどうも

最近、仕事を再開した。
6ヶ月のブランクがあると、さすがに脳も錆び付いてしまう。
それを何とかフル回転させ、先日無事ドラマの翻訳を納品した。

生きた言葉を別の言語に置き換える作業は実に楽しい。
話し言葉こそ翻訳は難しいと思う。
例えば、今回のドラマで主人公が「いえいえ、どうもどうも」と言うシーンがある。
これは、「いえいえ、どうも」とは違うし、
「いえ、どうも」とも違うし、
「いえ、どうもどうも」ともまた違う。
この微妙なニュアンスは日本人だからこそわかるのである。
これをどう英語で伝えるか・・・

A、B、C、D と4種類の似た表現がある場合、
Aを伝えるには、B、C、とDとは違うことも間接的に伝えなくてはいけない。
一瞬で消えてしまう字幕でいかにそれをうまく伝えるか・・・

日本語には繰り返し表現が非常に多い。
生き生き、久々、などなど。
擬音にもそれは目立つ。
ガサガサ、パカパカ、チャプチャプ。

「いえいえ、どうもどうも」も繰り替えしである。
繰り返す、繰り返さないは語り手の心情を表している気がする。

仕事を再開し、翻訳のおもしろさを改めて感じた今日この頃。

<翻訳の仕事についてもっと読みたい方はこちらをクリック

2011-12-06

ディ・アイ・ウァイ

DIYとは、Do It Yourself の略。
1950年代にアメリカで流行になり、今では世界中で通用するようになった。

先日、友人とニューヨーク市クィーンズ区にある
Build It Green! NYC というスクラップ回収所に行った。
埋め立てごみを減らす運動から始まったNPOだそうだ。
扉から冷蔵庫までさまざまなガラクタを激安価格で販売している。
もちろんすべて中古品。
多少壊れているものもあるが、それを自分で直したり改装するのがDIYの楽しみ方。

今回は何も買わなかったが、今度Yoshiと行ってみたいな。
きっと彼は大興奮するだろう!






2011-11-27

悩ましい問題

今、私たちを悩ませていることがある。
健康保険
アメリカの医療制度は日本と違い、国民健康保険が存在しない。
医療費は日本より高く、しかも、健康保険と歯科保険は別扱いとなっている。

先月、右目が充血したため、眼科で診てもらった。
結膜炎と診断され、目薬を処方してもらった。
診察料と検査料でなんと、1,500ドル(約120,000円)を請求された!
そして目薬は148ドル(約12,000円)とこれもまたおそろしく高かった。

世界旅でかかっていた旅行保険がまだ適用するので、
幸い、一銭も払う必要はなかったが、
保険適用外だったら、100%実費になっていた。
旅行保険は2012年1月に切れてしまうので、
こちらで新たに健康保険に加入する必要がある。

正社員として勤めている場合は、
勤務先が提供する団体保険に加入することができるが、
個人で加入する場合は、保険料は割り増しになってしまう。
しかも、妊娠・出産は適用外というプランが非常に多い。
フリーランスで仕事をしている私にとってはとても悩ましい問題である。

アメリカは個人の自由を重視する国。
言い換えれば、自分で責任を負わなければいけない国。

いつでも、誰でも加入できる日本の国民健康保険は本当にすばらしい制度だ!

2011-11-01

ニューヨーク風 ハロウィン

ニューヨークのハロウィンパレード。
それは毎年10月31日に行われる大イベント。
6万人もの人がユニークに仮装し、衣装を振舞う。
エネルギーに満ちた夜の街を歩きながら、
「ああ、これがニューヨークだぁー!」と感じた。
普通の格好でパレードを見学した私たちは完全に部外者だった。

おもしろかったのは、ビジネスマンの様にスーツを着ている人たち。
もちろん、これも衣装。
彼らは今話題の「1%の富裕層」に変身していたのである。







2011-10-27

ガイドブックさん、またよろしくね


ニューヨークに来てから、まだ1週間しか経っていないが、
自分がどれだけこの街から離れていたかをつくづく感じる。
マンハッタンで生まれ育ったが、大学入学とともにこの街を出た。
14年ぶりにまた住民となり、懐かしい半面、浦島太郎状態。

実は先日、ニューヨークのガイドブックを買った。
地元のことって意外と知らないことが多くない?
ツーリスト向けに書かれた内容を読むのも興味深い。

これまで5ヶ月間、私たちはツーリストとしてたくさんの国を訪れ、
多くの地元住民に助けられた。
 これからは、私たちが案内をする側。
がんばろっ。

ポスト911のニューヨークはどんな街になっているのだろう?

2011-10-20

「一生感動 一生青春」by タビロック

2010年2月、日本から若い夫婦が世界一周の旅に出ました。
1年間を予定していたものの、旅の魅力にハマリ、
彼らの冒険は1年10ヶ月も続きました。

私はこの夫婦とお会いしたことはありませんが、
彼らのブログを時折拝見していました。
「一生感動 一生青春」という言葉が好きでした。
同じ旅人として、いつか世界のどこかで出会えたらいいな、と思っていました。

しかし、突然・・・

先日、悲しいニュースが入ってきました。
10月6日、妻のあつこさん(30)が亡くなりました。
その2日後に、夫のひでおさん(36)も亡くなりました。
アフリカで感染したマラリアが原因だったそうです。
本当に残念です。

彼らは今日、10月20日に旅を終え、帰国する予定でした。
「ただいま」と言えなかった彼らのことを思うと、
悲しくて、悲しくて・・・

言葉が出てきません。

彼らの友人が作ったビデオを是非ご覧ください。
これからも天国で仲良く笑っていてくださいね。
心よりご冥福をお祈りいたします。

2011-10-19

新たな旅立ち

これからは新たな旅立ちです。
ニューヨークでゼロからのスタート。
仕事と家を探し、新しい生活が始まります。


ブログはこれからも続けますので、是非また遊びに来てください。
国境越えや夜行列車の話はなくなるかもしれませんが、
ニューヨークでの冒険話は絶えないと思います。
お楽しみに!


旅に出てた日数:153
訪れた国の数:19


列車の最長乗車時間:72
バスの最長乗車時間:37

ケンカをした回数:10
カップ麺を食べた回数:26

熱を出した回数:
胃腸薬を飲んだ回数:15

洗濯機で洋服を洗った回数:12
手で洋服を洗った回数:51

旅に出たことを後悔した回数:
2人で笑った回数:


旅が終わり、改めてこの5ヶ月間に感謝しています

長い旅路を一緒に歩んでくれたYoshi、ありがとう
荷物をずっと守ってくれたリュックたち、ありがとう
応援のメールを送ってくれた友人たち、ありがとう
観光ビザを発行してくださった大使たち、ありがとう
運転手さんたち、パイロットさんたち、ありがとう
ブログを読んでくださった皆さん、ありがとう
私たちの無茶に付き合ってくれた身体、ありがとう
心配しながらもいつも支えてくれた家族、ありがとう

153日間、本当にありがとう

2011-10-14

引き際を見極める

キルギスの首都、ビシュケクで日本人の登山家、野村さん(35)に出会った。
彼は今年の夏、ハンテングリという7000メートル峰を単独で登った。
ハンテングリは2度目の挑戦だったと言っていた。
「1回目は頂上まで行けなかった。でも大事なのは、引き際を見極めることだ。
それができないと命取りになる」
彼はそう話していた。

冷静に判断をすること。
欲に負けてしまわないこと。
そして、引き際を見極めること。

なんて難しいことなんだろう。

3週間前から私の右肩に神経痛の症状が出ている。
180日の旅を365日に延長しよう!
ヨーロッパの次はネパールとインドへ行こう!と決め、
インドビザを申請した矢先に起きたことだった。
このまま旅を続けられるのだろうか。
初めて旅の終わりを考え始めた。

旅の終わりの時期は決めていなかった。
行けるところまで行こう!と勢いに乗っていた。
でも、多少の冷静さも保てていたような気がする。
今日、旅が終わったとしても、後悔が残らない日々を送れているね、
といつも二人で話していた。

旅を続けるかどうか。

何日も話し合い、私たちが出した決断は、ここで終了しよう。
万全な状態じゃない中で無理して続けることほど、危険なことはない。

5ヶ月間、二人三脚で世界を歩いたことは、
二人にとって一生の宝物となった。

旅に出る前にYoshiの父親にこんな言葉をいただいた。

世界をまわっていろんなものを見るのはすばらしい
でも、一緒にまわっている人も見るように
二人の間で新しい発見を見つけるのも大切だよ

この言葉は、旅の間、何度も思い出した。
きっと今後も、新しい冒険が私たちを待ち受けてくれているだろう。
どんな挑戦でも、同じ方向を向きながら、お互いも見るように。
そんな生き方ができたらいいな。

10月19日にアメリカ入りです。



2011-10-13

フランスは今、戦争中!

今、フランスでちょっと変わった戦争が行われている。
その名は、La Guerre des Post It (付箋戦争)。
ある会社員が昼休み中に付箋でビデオゲームのキャラクターを作り、
自作をオフィスの窓に貼った。
それを見た向かい側のビルのある会社員は、
それに対抗するキャラクターを作り、窓に貼った。
そんな単純なことで人々の競争心に火がつき、
パリからフランス中にこの熱は広まった。

四角い付箋はピクセルのようだ。
そんな発想から生まれたこの付箋戦争。
戦争は戦争でも、こういうユニークな戦いは実におもしろい。
フランス人の遊び心に乾杯!

2011-10-12

大地のりんご

パリに来てからちょうど1ヶ月が経った。
以前にも訪れたことのある街だが、
これだけ長い間滞在するのは今回が初めて。

新しい街に到着したら、まずやることがある。
「こんにちは」と「ありがとう」を現地の言語で学ぶこと。
それは訪問者としてやれる最低限のことだろう。

滞在日数が短いと、その2つの単語以外の言葉を
覚えないまま国を出てしまうことがある。
でも、1ヶ月も滞在すると、野菜の名前なども言えるようになってくる。

フランス語で「じゃがいも」はpomme de terre (ポム・ドゥ・テール)という。
直訳すると、「大地のりんご」という意味になる。

実は、中国語でも似たような表現をする。
「土豆」(トゥ・ドウ)。

学生のころ、中国語の先生に「中国語とフランス語は似ている部分が結構ある」
と、いわれたのを覚えている。
もしかして、先生はじゃがいものことを言っていたのかな?

そろそろ新しい言語を学びたくなってきた。
中国語の次はフランス語かな・・・?

2011-10-07

体が悲鳴をあげたら、耳を傾けよう


先週から右肩の筋肉に痛みを感じるようになった。
実は、こういう症状が出るのは今回が初めてではない。

4年前のこと。
当時は東京の制作会社で勤務していた。
ある朝、目が覚めたら、右肩と腕に激痛が走った。
寝違えたのかと思ったが、夕方になっても治らず、
症状は悪化する一方。
そして、数日後には右腕が挙がらなくなってしまった。

病院で4人の先生に診てもらったが、どれも納得のいかない診断だった。
パソコンの使いすぎ、疲労、仕事のストレス・・・
なぜ腕が挙がらなくなってしまったかについては、
どの先生も首をかしげるばかり。

とにかく痛みをやわらげたい。
針治療、気功、自律神経免疫療法など、様々なことを試してみた。
発病から4ヶ月後にようやく痛みは緩和されたものの、腕はまだ挙がらなかった。
20代で50肩!?まさか。

当然、痛みは辛い。
でもそれより辛かったのは、原因がわからなかったこと。
なんでこういうことになってしまったのか?
そして、いつ「元の自分」に戻れるのかな?
焦るばかりだった。

そんな時に、Yoshiがこんなことを言ってくれた。
「今のSaheもSaheだよ。」

それは、私にとってとても必要な言葉だった。
私は腕が挙がらない自分は自分じゃないと思っていた。
でも人は常に変化している。
体が不自由になった自分も自分なんだっていうことを
受け入れることで気持ちが100倍楽になった。

発病から半年が経過。
ようやく良い先生に出会うことができ、病名が出た。
「神経痛性筋萎縮症」
10万人に1人しかかからないといわれている
原因不明、治療法なしの病気だった。
珍しい病気だけに、正しく診断できる先生は少ないらしい。

10万人に1人ってすごい確率だ。
それなら病気より宝くじが当たるほうがよっぽどよかったのに。
でも、この病気になったおかげで、大切なことを学べた気がする。
体が悲鳴をあげたら、耳を傾けよう。
簡単そうで、意外とできないことなんだなと、つくづく感じる。

さて、発病から2年後に幸い病気は完治した。
でも今回また似たような症状が同じ右腕に出たので、ちょっと心配。
神経痛とは、今後も付き合っていかなくてはならないかもしれない。
大事なことは、それを受入れ、どううまく共存できるかを考えることだと思う。

今回の症状を日本の先生と相談したら、
病気の再発ではないと教えてくれたので、一安心。
旅中に重いバックパックを長い間背負っていたせいで、
「胸郭出口症候群」にかかってしまったようだ。
筋肉を休ませることによって改善するとのこと。

私のバックパックの重さは18キロ。
これは体重の36%という計算になる。
私の筋力ではちょっと重すぎるのかもしれない。
肩に負担がかかるのも無理ないね。

しばらくゆっくり体を休めようと思います。

<バックパックの写真はこちらをクリック>

2011-09-28

シャンパーニュでシャンパン!

9月27日
2年目の結婚記念日を迎えた。
朝から快適な秋晴れに恵まれた。

お祝いといえば、シャンパンですよね。
シャンパンの本場であるシャンパーニュ地方へ日帰り旅行。
私たちが目指したのは、
パリから東へ約130キロにあるエペルネ町(Epernay)。
電車で90分ほどで行ける距離。
午前8:50の電車に乗る予定だった。
6時半に起きて、早めに駅へ向かった。
でも・・・言葉の壁があり、駅でもたもたしていたら、
結局、電車に乗り遅れてしまった!
次のエペルネ行きは午前10:50。
パリの駅で2時間も待ちたくなかったので、
とりあえず、エペルネ方面へ向かってみようということで、
モー町(Meaux)行きの電車に飛び乗った。

午前9:30、モー着。
そこで、エペルネ行きの電車が走っていないことが判明。
でも NO PROBLEM!
急遽、交通手段をバスに変更。
次の便は11:30まで出発しないということで、
モー町を2時間ほどぷらぷら散策。

モー町 (Meaux)

エペルネ町に到着したのは午後1:00。
お腹がすいていたので、まずはオープンカフェでランチ。
シャンパンで乾杯し、「やっぱりシャンパーニュで飲むシャンパンはおいしいね」と、
全くシャンパンの味も知らないくせにそんなことを言ってみたり・・・

さて、ここで問題。

??「シャンパン」の本来の意味ってなに??
A:アルコール飲料
B:地名
C:泡

答えは:B「地名」です。

シャンパンとは、シャンパーニュ地方で製造された発泡ワインのことを指す。
今では発泡ワインのことを一括りに「シャンパン」と呼ぶようになってしまったが、
本来はそういう意味ではなかった。

エペルネ町では、Moet & Chandonなど有名なブランドの
シャンパンセラーを見学することが可能。
私たちはChampagne de Castellaneの工場を見学し、
シャンパン製造の歴史について学ぶことができた。
お酒は深いなぁ、と改めて思った。


ブドウの品質をチェック?


おみやげにシャンパンを1本!

2011-09-25

ついにダウン

旅に出てから4ヶ月が経過。
ついに風邪を引いて寝込んでしまった。のどの痛みと頭痛で夜中に何度も目を覚ました。翌日、薬を呑んでおとなしくしていたら、すぐに回復。パブロンの効き目はすごい!

アイスランドで出会ったソルベッグちゃんと土曜日にパリで再会予定だったが、私は欠席。Yoshiだけが彼女に会った。私も会いたかったよ~

<アイスランドでソルベッグちゃんとボランティアをした経験について読みたい方はこちらをクリック>

2011-09-23

おもちゃを捨てないで

今、パリのGrand Palaisでおもちゃの展覧会が開催されている。それを見に、先週、Yoshiの妹と甥っ子と行ってきた。古代から現代までの西洋おもちゃが数多く展示されており、おもちゃの変化、そしてその歴史的背景を学ぶことができた。

子供の脳の発達を大きく影響するおもちゃ。
子供をお持ちの方たち:あなたはどうおもちゃを選択していますか?

展覧会の後、パリ在住の私の両親の親友に会いに行った。彼女は20代の娘を持つ母親である。Yoshiの甥っ子を見て、自分の娘が子供だった頃を思い出したのだろうか。娘さんが大事にしていたおもちゃを2つ甥っ子にプレゼントしてくれた。

「うちにいるより、あなたといるほうがおもちゃも喜ぶと思うわ」と言って、車と恐竜を甥っ子に渡した。甥っ子は大喜び。すてきなプレゼントを大事にしてね。

子供をお持ちの方たちへ:お子さんが成長しても、おもちゃを捨てないでください。必ず、そのおもちゃを大事にしてくれる子供が世界のどこかにいます。もしかすると、近所にいるかもしれませんよ。

2011-09-20

フランスのお城、ゴッホ終焉の地

先週末、パリ在住のYoshiの従兄弟家族とパリ郊外へ小旅行に行ってきた。
1年半ぶりの再会、子供たちが大きく成長していてびっくり。
純粋な心を持つ子供たちはかわいいね。

フランスで最も大きな宮殿、フォンテーヌブロー宮殿




ヴォールヴィコント城のキャンドルライト


ゴッホが最期を迎えた地、オーヴェルシュルオワーズ

2011-09-15

家族っていいね

昨日、Yoshiの妹と甥っ子がパリに遊びに来た!
4ヶ月ぶりの再会だけど、昨日まで一緒にいたかのよう。
義妹たちは1週間滞在する予定。
家族との大事な時間、たっぷり満喫したいと思いまーす。

@シャルルドゴール空港

2011-09-14

ガレット片手におしゃべり

10日の朝、親友がロンドンからパリへ遊びに来た
モリとは幼稚園からの幼馴染
彼女は今、ロンドンのNGOで社会福祉の仕事をしている

1年ぶりの再会。話したいことは山ほど
ガレット、パン・オ・ショコラ、 ブリーチーズ、赤ワイン・・・
パリジェンヌ気分で街をぷらぷら歩きながらおしゃべり、おしゃべり

モリと次回会えるのは1年後になってしまうかもしれないけど
世界のどこにいても、私にとって大切な親友




2011-09-12

愛されている日本、嫌われている米国

3.11の大地震から6ヶ月。
9.11のテロから10年。
日本とアメリカは昨日、大きな節目を迎えた。

旅に出ると、気づかされることはたくさんある。
その中でつくづく感じることは・・・

日本は世界から愛されている。
そして、アメリカは世界に嫌われている。
私の2つの祖国はいろんな意味で「真逆」である。

旅先で出会う多くの現地人、そして旅人。
みんな必ず、「日本は大丈夫?」と聞いてくれる。
海外の新聞には、日本の今の現状についてほとんど書かれていない。
数ヶ月経ってしまえば、もうニュースじゃなくなってしまうのが悲しい。
でも世界の人々は日本のことを思い、心配してくれている。

私とYoshiは日本を離れた者として、
世界に日本の正しい情報を伝える役目がある。
旅を通して、多くの人たちに日本のことを知ってもらえれば、と日々願っている。

 HOPE FOR JAPAN の牛 @ セルビア

アメリカ国旗のトイレットペーパー @ ロシア


2011-09-08

健康の秘訣は何ですか?

ウィーンからアムステルダムまで約1,000キロ。移動中の電車の中で75歳の笑顔がかわいらしいおじいさんに出会った。彼はオランダ出身で、妹に会いにスイスを訪れていた。75歳とは思えないくらい若々しかった。

「健康の秘訣は何ですか?」と尋ねたら、「肉は少なく、新鮮な野菜を多く取るように妻と努力しているんだ。バランスのいい食事が長生きの秘密だよ」と教えてくれた。マックを食べたばかりの私たちにとって耳が痛い内容だった・・・

おじいさん、奥様といつまでもお元気でいてくださいね!

☆☆☆☆☆ ヨーロッパの電車はびっくりするぐらい快適→


ちなみに、中国の列車はこんな感じだった↓

(中国の列車体験についてもっと読みたい方はこちらをクリック)


ウィーンでカウチサーフィン

ウィーンでの滞在は2泊と短かったが、カウチサーフィンのおかげで充実した2日間を過ごすことができた。初日はステファンさんという背の高~いオーストリア人男性の家で泊まらせてもらった。上品で、且つワイルドな部分を持つすてき方だった。地元のオーストリア料理店を紹介してくれて、おいしい食事とお酒で盛り上がった。

たくさんの話の中でも特に興味深かった内容は国旗と国民の関係性について。私たちがウィーンに着いてまず気づいたことは、街中で見かける国旗の数が非常に少ないこと。ステファンに聞いたら、それは、ヒトラー時代の記憶と恥がまだ国民の心から抜けていない現われだと話す。ファシズム支持者と勘違いされたくないがために、国民は自国の旗を表に掲げないのだ、と。ナショナリズムとパトリオティズムの違いにとても敏感なのだろう。

日本人も共感できる部分があるのでは?大日本帝国時代以降、日本人の愛国心は大きく変化してきたのではないか?



9月6日。ウィーン滞在2日目はオーストリア人カップルのステファンさん(初日とは別人ね)とジェニーさん宅で泊まらせてもらった。夕食には手作りのパンプキンスープとパンケーキ。友人2人を招いてハウスパーティー。友人は日系オーストリア人のジュンイチさんとフィリピン系オーストリア人のヤキリさん。楽しい話で時間はあっという間に過ぎてしまった。

ヤキリさんの言葉が印象に残っている。「外国人に会うとみんな口をそろえて、ウィーンは音楽の街だというけど、そうなの?」私たちもウィーン=音楽と思っていた・・・「僕の周りでは音楽をやっている人は一人もいないよ」とヤキリさんは笑っていう。

なるほど。外からの印象と実際の現状にはギャップがあるのかもしれない。何事も外から見るのと中から見るのとでは、見えるものが違うよね。


2011-09-06

地球儀の美しさ

オーストリアの首都ウィーンにある地球儀博物館。640もの天体模型が展示されている、世界でも珍しい博物館。地球儀、月球儀、天球儀など16世紀から現在のものまでコレクションは豊富。

国境は増えたり減ったり。今年は南スーダンという新しい国が生まれた。陸路で旅をしていると、国境という境界線をとても意識する。旧ソ連や旧ユーゴ、私が子供の頃と比べて、国境はかなり増えている。なぜ人は境界線を引きたがるのだろう・・・