2011年5月から153日間、夫と世界を散歩しました  現在はニューヨークで新たな挑戦に挑んでいます!

2011-08-20

国境が閉鎖されていた!

カザフスタンからキルギスへ渡る場合、アルマトイからビシュケクまでバスで行くのが一般ルート。私たちはビシュケクまで直接行ってしまうより、イシク・クル湖の東側からキルギスに入り、湖を見てからビシュケクに行こうとした。

国境は突然閉鎖されてしまうことがあるので、私たちは事前にアルマトイのツーリストインフォメーションセンターで確認をした。「東側の国境は開いています。そこからキルギスに入ることは可能ですよ」と言われたので、安心して東側ルートで行くことにした。

Yoshiが仲良くなったバスの乗客
8月16日。朝6時にジュリアの家を出て、 市内バスで国際バスターミナルへ。と思っていたが、バスがなかなか来なかったので、乗り合いタクシーに変更。6:45AM、サヤラン・バスターミナルに到着。

アルマトイから250キロ東にあるケゲンという町までミニバスで4時間。ミニバスは7:30AMに出発したが、途中でエンストしてしまったため、予定より1時間遅れて12:30PMにケゲン着。ケゲンから国境に一番近い町、カラカラまでバスはなく、乗り合いタクシーで行った。約15キロの一本道。カラカラから国境まではさらに15キロぐらい。運転手に国境まで連れてってくれないか?とたずねたら、両腕でバッテンのサインをされ、ロシア語で何かを伝えてくれていた。どうも、国境は渡れない、みたいなことを言われている気がしたが、アルマトイのツーリストインフォーメーションセンターでは大丈夫と言われていたので、彼の言葉を信じなかった。

そこへ通りかかりの車が停まり、男性二人が降りた。ロシア語で何か話しかけられた。私たちは国境へ行きたいんだ、と訴えたら、彼らも両腕でバッテンのサインをして、首を振り、「ニエ、ニエ」(ダメ、ダメ)と繰り返した。まさか、国境が閉鎖されているのかな・・・?

車から降りた男性はとても親切で、「ちょっと待て」と言って、車で今来た道を戻っていった。数分後に戻り、頭にヒジャブを巻いた女性を連れてきた。「你會說漢語嗎?」(あなたは中国語を話せますか?)と聞かれた。「我會!我會!」(話せます!話せます!)言葉がようやく通じて興奮しながら、私は答えた。彼女が通訳をしてくれて、国境の状況を説明してくれた。一年以上前から国境は閉鎖されていると言われ、ショックを隠せなかった。5時間もかけてここまで来たのに~という悔しい思いでいっぱいだった。

国境は閉まっているよ、と親切に教えてくれた地元の人たち
でも、地元の人たちが言っているのだから、間違いないだろう。私たちは悔しさを飲み込んで、同じ道のりでアルマトイに戻ることにした。乗り合いタクシーの運転手がずっと待っていてくれたので、彼の車でまずケゲンまで戻ることに。彼がバス停まで連れて行ってあげると親切に言ってくれたのだが、途中の交差点で車がエンスト、全く動かなくなってしまった。別の乗り合いタクシーでバス停と言われていたとこまで行ったが、そこはバス停ではなくガソリンスタンドだった。乗り合いタクシーが数台停まっていて、アルマトイ行きのバスはもうない、タクシーで行こうと言われ、うまく値段を交渉し、5人乗りのセダンに6人も乗り、なんとか4時間でアルマトイまで戻れた。到着は夕方の7時すぎ。ちょうど12時間前に同じバスターミナルからケゲン行きのミニバスに乗ったね、とYoshiと笑いながら軽い夕食を済ませた。

西側のアルマトイ・ビシュケクの国境は24時間開いているので、夜9時のバスでビシュケクへ行くことにした。ビシュケクの宿には電話をして、到着が夜中の1時すぎになってしまうが、大丈夫かと聞いたら、「部屋は満室だが、屋上で寝てもいいよ」と親切に言ってくれたので、とにかく、その宿へ行くことにした。カザフスタン側の国境へ到着したのが夜中の12時。バスを降りて、歩いて国境を渡った。出入国検査はとても簡単ですぐ終わった。キルギス側で同じバスが拾ってくれて、宿まで送ってくれた。到着は夜中の2時近かった。屋上にマットを敷いて、二人で、「終わりよければ、すべてよしだね」と言いながら眠りについた。

2 件のコメント:

yasuka さんのコメント...

久振りにブログ見たよ!!
ひえ〜
大変だったね。。。
屋上で寝袋で寝たの??

Sahe さんのコメント...

そう、マットと寝袋。幸い、屋上に出る手前の踊り場が空いてたから、そこで寝たの。とりあえず、屋根はあったからよかった!