2011年5月から153日間、夫と世界を散歩しました  現在はニューヨークで新たな挑戦に挑んでいます!

2011-09-05

温泉と抵反発でリフレッシュ

トルコ風呂
日本人はお風呂好きですよね。一日の疲れを取るため、寝る前に入るのが日課の人も多いでしょう。でも世界にはお風呂に入る習慣がない国がたくさんある。例えば、モンゴル。遊牧民はお風呂に入らない。大草原の中、家畜と一緒に長い距離を移動する彼らの持ち物リストに「風呂」は載っていない。ウランバートルで住んでいるベグズさんのゲルにもお風呂はなく、桶にお湯を入れて体を拭いていた。(ベグズさんの日常生活についてもっと読みたい方はこちらをクリック)

ハンガリー式
でも、日本人の様に風呂好きな人も世界にはたくさんいる。トルコ風呂(ハンマーム)は世界的にも有名。身を清潔に保つことはイスラム教の教えであるが、実はトルコの風呂文化はローマ帝国時代、ローマ人から伝わったといわれている。

私たちはトルコ中部カッパドキアでハンマームを体験した。トルコ風呂はお風呂というよりサウナといった方が正しい。蒸気で汗を流したあと、8角形の巨大な大理石の上に寝そべって、あかすりと石けんマッサージを受ける。マッサージ師は布の袋の中で泡を立て、その泡でマッサージをするちょっと不思議な方法。

Blue Lagoon
ハンガリーにもお風呂の文化は根付いている。ハンガリー式はローマとトルコの入浴文化が融合されたといわれている。ハンガリーの首都ブダペストは温泉の街。私たちはトルコに続き、ブダペストでも現地の風呂文化を体験したく、Gellert Bathに行ってみた。日本の温泉とは雰囲気がだいぶ異なり、温水プールといった感じだった。室内と屋外を含め、プールが13個もあった!

そういえば、アイスランドでも温泉に入った。首都レイキャビックにあるBlue Lagoonは温泉湯が青いことで有名。湯の成分のバランスにより、青くなるらしい。そこの温泉は地面が一面砂なのが独特だった。海の中にいる感じだった。

Ginkgo Hostel
なんだか、温泉巡りの旅のように聞こえるが、実は2人共結構汚い・・・洋服をあまり持っていないため、Tシャツは基本3日続けて着る。でも、こうしてたまに温泉に入るととてもリフレッシュできる。ブダペストでは温泉だけでなく、泊まったGinkgo Hostelも快適だった。ベッドがなんと抵反発っぽかった!これまでいくつもの宿で泊まってきたが、ここのベッドが一番寝心地がよかった。

ブルガリア in Bulgaria?

ブルガリアにはブルガリアヨーグルトはなかった・・・

2011-09-02

警察に行け!

8月31日夜10時の夜行列車でイスタンブールからセルビアの首都ベオグラードへ向かった。6人キャビンにはイタリア人の男性、セルビア人の若いカップルと私たちだった。イタリア人は仕事でイスタンブールに来ていて、26年前にイスタンブール→ミラノまで列車で行った思い出をたどりたく、列車で帰ることにしたと話していた。セルビア人たちは夏休みをトルコで過ごしていた。

20代のセルビアン学生、30代のジャパニーズ無職夫婦と40代のイタリアン富豪。コメディのように傑作な5人組だった。

トルコ側の国境駅カピクル
列車は定刻通り、22時にイスタンブールを出発。5時間後、夜中3時にトルコ側の国境駅カピクルに到着。突然、キャビンの扉がドンドンと叩かれ、低い男性の声が響いた。Go to police! (警察に行け!)寝ぼけていたせいでドキッとしたが、駅ホームにある出入国管理局へ行きなさい、ということだった。目をこすりながら、貴重品だけ持って列車を降りた。出国手続きは15分で済み、列車に戻り、またすぐ寝てしまった。2時間後にまた起こされた。今度はブルガリア側の国境駅に到着。入国管理官にパスポートを取られ、荷物検査もさせられた。パスポートが手元に戻ってきたのは朝6時。夜中の国境越えは眠気との戦いだ。

取り残された車両
9月1日午後12時半。出発から10時間後にブルガリアの首都ソフィアに到着。車掌さんに、「ここで7時間停車するので、よかったら街を散策して来なさい」と言われた。7時間も停車!?あとでわかったが、ソフィア着が予定より20分遅れたため、連結すべきエンジン車両に間に合わなかったそうだ。結局、私たちの車両だけ次のベオグラード行きの列車を待つハメになってしまった。でも、大丈夫。おかげでソフィアの街を半日歩いて回ることができた。

夕方6時半にホームに戻ったら、私たちの車両だけがポツンと取り残されていた。次のベオグラード行きの列車はまだ到着していなかった。90分ほどホームで待っていたら、ようやくエンジン車両が到着!夕方8時半に列車は再び出発。

ソフィアからベオグラードは約380キロ。その距離を移動するのに、19時間かかってしまった!

2011-08-31

モスクになった教会 アヤソフィア

同じ屋根の下でキリスト教とイスラム教が共存






喜喜

イスタンブールのメトロでおもしろい模様を見つけた。
車両の扉に3つの模様が描かれていた:
・メトロの「M」
・イスラム教を象徴するモスクの絵
・中国語の「喜喜」に似た模様

地元の人に「喜喜」はイスラムの模様かと尋ねたら、
「知らない」といわれてしまった。気になるなぁ~



2011-08-30

ぐるぐる ぐるぐる

イスラム教の神秘主義哲学、スーフィズムから生まれた瞑想法「スーフィダンス」。
右手は空に向かって、神の力を受け取る。
左手は地に向かって、神の力を人々に送る。
太陽系の惑星を象徴し、ぐるぐる回転し続ける。

見ていると催眠術にかかってしまいそうになる。
短いビデオですが、どうぞご覧ください↓

2011-08-28

アリになった人間たち

東ローマ帝国時代、アラブ諸国の敵から身を守るため、
地下に都市をいくつも造ったカッパドキアのキリスト教徒。
私たちは2万人が暮らしていたといわれているカイマクルを訪れた。
寝室、食料庫、ワイン貯蔵室、礼拝堂、馬小屋、
井戸、通気孔などが建設されており、
半年から1年も暗闇の中で敵が過ぎ去るのを待っていたという。
中を歩いていると、アリになった気分になる。




岩の中で暮らす

カッパドキアにある人口2500人の村、ギョレメには岩窟がいくつもある。
岩窟の中で暮らすってどんな感じなんだろう?
ちょっとだけ体験を味わうため、洞窟部屋で泊まってみた。

都会では家賃さえ払えば、好きなところに住めるが、
自分で自分の住処を造れないのって、生き物として情けないよね。


2011-08-27

風まかせの旅

今日は一生忘れない日となった。
朝4時に起きて、空飛ぶ巨大な風船に乗ってみた。
丘の上から登る太陽、ダイナミックなカッパドキアの地形・・・
60分間、小さなカゴの中から大自然を満喫することができた。

世界遺産カッパドキアは6千万年前に、アナトリア高原の火山が噴火し、
風雨の浸食と自然の力により生まれた大地である。
気球の上から見るこの不思議な地形は実にすばらしかった!
Yoshi、地上から見守っていてくれてありがとう。

熱気球が浮かぶ原理はとても単純。
熱い空気は冷たい空気より軽いから浮かぶのである。
風船の中の空気を加熱しながら、気球の高度を調整するのだが、
推進力を持たないので方向は風まかせ。
行き先が風まかせってなんかロマンチックだよね。







2011-08-26

うっかりさん

ハネムーン気分で頭がポーっとしていたのかもしれない。
8月25日。夕方16時にアマスラからトラブゾン行きのバスに乗る予定だったが、
チケットを予約するのをうっかり忘れていた。
私は海辺のカフェで黒海を眺めながらのんびり過ごしていた。
Yoshiは町中で絵を描いていた。
バスを予約しておこうということは私たちの頭をよぎりもしなかった。

出発のギリギリにバス停に行ったら、残り1席しかないと言われてしまった。
一人だけ行くというわけにもいかないので、行き先を変更することに。
これが予定なしの旅の良さだ。いつでも変更が可能。
元々の予定では、イスタンブールから時計回りで
アマスラ→トラブゾン→カッパドキアと回る予定だった。
新ルートはアマスラ→カッパドキア→トラブゾン。
カッパドキアへはアンカラ経由で14時間。
20時間以内は短い!と感じられるようになった・・・

カッパドキアでは、シューストリング洞窟ペンションで2泊泊まる予定。
宿のオーナーさんは東京でトルコ料理店「アラトゥルカ」を営んでいるらしい。
興味のある方は:http://www.alaturca.jp/

2011-08-25

ハネムーンらしい一日

8月23日。深夜12時の夜行バスで黒海の沿岸部にある小さな町、アマスラへ向かった。バスの車内は飛行機のように各席に小型テレビがついて、もちろん椅子はリクライニング式。中国のバスとは大違いだ!

アマスラは人口7000人。透き通る黒海の水に面した美しい港町。なぜ「地球の歩き方」では紹介していないんだろう?バケーションで来ているトルコ人は多いが、外国人は極めて少ない。宿はペンションが一般的で、私たちは町の公園で声をかけられたおばちゃんのペンションで泊まることになった。オーシャンビューの広いアパートで一人一泊30リラ(約1,200円)。イスタンブールの30人部屋のドミと同じ値段とはびっくり!

今回の旅は実は、私たちのハネムーン。結婚してもうすぐ2年。世界旅という名のハネムーン。アイスランドの火山噴火から始まり、決してハネムーンらしくはないが、3ヶ月経ち、このアマスラでようやくハネムーンらしい時間を過ごすことができた。体も心も休まり、ゆっくりと流れる時間に癒された。

でも、ここで一週間過ごすのはできないかも。冒険を求めたがる私たちの性格かもしれない。これから15時間のバスでもっと東へ向かう予定だ。

私たちのハネムーンらしい一日を写真におさめました↓









大都市にびっくり!

イスタンブールは歴史が深く、街並みも美しいが、観光客の多さに圧倒される。
中央アジアから来た私たちにとってはショックが大きすぎた。
行方不明になっていたバックパックが戻ってきたら、
さっそくその日の夜行バスで街を出ることにした。
1週間ほどトルコの他の地域を回ってから、イスタンブールに戻ることに。
その方が街の魅力を楽しめる気がする。




2011-08-23

荷物が行方不明

8月21日。キルギスからトルコまで飛行機で飛んだ。
アイスランドからずっと陸路で渡ってきたので、
久しぶりの飛行機でちょっと戸惑った。
アエロスヴィート航空でウクライナ経由。
かなりの遠回りだが、格安チケットだから文句は言えない。
乗り継ぎがあると荷物がなくなる可能性が高くなるのだが、
心配していた通りの結果になってしまった。
イスタンブールに到着したら、二人の荷物が出てこなかった。
とりあえず、航空会社に紛失届けを出し、連絡を待つことにした。
その日は歯ブラシも着替えもなく、
荷物が現れるかどうか心配しながら寝た。
ホステルのドミトリーは通常4人~8人部屋だが、
今回はなんと、30人部屋のドミ!しかも地下室で窓がない。
決して居心地がいいとは言えないが、寝る場所を確保できただけありがたい。
一人一泊10ユーロ(約1,100円)で朝食付き。
イスタンブールの物価はそんなに安くない・・・

幸い、翌日荷物が戻ってきたのでよかった!

イスタンブールの空港にて

持ち主不明な荷物がたくさん

オリエントホステルの30人部屋

キルギスの海

世界には、日本のように海に囲まれている国とキルギスのように海に面していない国がある。日本の小学校では水泳の授業があるが、キルギスのような内陸国では学校で水泳を教えない。海がない国には泳げない人が多いのだ。

キルギスには、「キルギスの海」と呼ばれている湖がある。カザフスタンの国境に近いイシク・クル湖。この湖には昔、集落が沈んだといわれている。集落が沈む!?なぞだ・・・ NHKが「湖底に消えた道~幻のイシク・クル湖に潜る~」というドキュメンタリーを制作したらしい。今度見て見たいな。


原始的な芸術

イシク・クル湖の北にある町、
チョルポンアタでは4,000年も前に描かれた
といわれている岩絵を見ることができる。
時の流れを感じるとても原始的な芸術である。
山ヤギの絵が多かった。




2011-08-22

中央アジアってどこ?

中央アジアとはカザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタンとトルクメニスタンの国々のことをいう。北にはロシア、東には中国、南には中東、そして西にはカスピ海。様々な文化と宗教が混ざり合っている地域だ。

キルギスでは2010年に首都ビシュケクと南のオシュ州で騒乱が起き、多数の死傷者が出た。キルギス系住民とウズベク系住民の間の対立だった。キルギス人は一般的に正直者といわれていて、遊牧民だったせいもあり、商売が得意ではない。それに対し、ウズベク人はシルクロードの時代から商才にたけていた。そんな彼らに対してキルギス人は不満を感じている。キルギスのウズベク人はアメリカのユダヤ人みたいなのかもしれない。

ハンテングリ

キルギスの首都、ビシュケクはアルマトイと雰囲気がとても似ている。私たちは街の北東にある日本人が経営するさくらゲストハウスで泊まった。日本人バックパッカーが多く、そこで野村さん(35)に出会った。野村さんは7000m峰のハンテングリを単独で登り、ちょうど山から下りてきたとこだった。ベースキャンプで滞在した日数も含め、合計38日間かかったそうだ。

7000mの雪山を一人で登る。私には想像を絶する世界だ。体力はもちろん、相当の精神力も必要に違いない。常に冷静な判断力ができ、天候を読み、自分のペースを保ちながら登る。彼の話を聞いていると、尊敬の念でいっぱいになった。数日前までハンテングリの頂上に立っていた野村さんは、私たちにないエネルギーに溢れていた。彼との出会い、そして一緒にゲストハウスで過ごした数日間はとても刺激的だった。本当に本当にお疲れ様でした!

@さくらゲストハウス

2011-08-20

国境が閉鎖されていた!

カザフスタンからキルギスへ渡る場合、アルマトイからビシュケクまでバスで行くのが一般ルート。私たちはビシュケクまで直接行ってしまうより、イシク・クル湖の東側からキルギスに入り、湖を見てからビシュケクに行こうとした。

国境は突然閉鎖されてしまうことがあるので、私たちは事前にアルマトイのツーリストインフォメーションセンターで確認をした。「東側の国境は開いています。そこからキルギスに入ることは可能ですよ」と言われたので、安心して東側ルートで行くことにした。

Yoshiが仲良くなったバスの乗客
8月16日。朝6時にジュリアの家を出て、 市内バスで国際バスターミナルへ。と思っていたが、バスがなかなか来なかったので、乗り合いタクシーに変更。6:45AM、サヤラン・バスターミナルに到着。

アルマトイから250キロ東にあるケゲンという町までミニバスで4時間。ミニバスは7:30AMに出発したが、途中でエンストしてしまったため、予定より1時間遅れて12:30PMにケゲン着。ケゲンから国境に一番近い町、カラカラまでバスはなく、乗り合いタクシーで行った。約15キロの一本道。カラカラから国境まではさらに15キロぐらい。運転手に国境まで連れてってくれないか?とたずねたら、両腕でバッテンのサインをされ、ロシア語で何かを伝えてくれていた。どうも、国境は渡れない、みたいなことを言われている気がしたが、アルマトイのツーリストインフォーメーションセンターでは大丈夫と言われていたので、彼の言葉を信じなかった。

そこへ通りかかりの車が停まり、男性二人が降りた。ロシア語で何か話しかけられた。私たちは国境へ行きたいんだ、と訴えたら、彼らも両腕でバッテンのサインをして、首を振り、「ニエ、ニエ」(ダメ、ダメ)と繰り返した。まさか、国境が閉鎖されているのかな・・・?

車から降りた男性はとても親切で、「ちょっと待て」と言って、車で今来た道を戻っていった。数分後に戻り、頭にヒジャブを巻いた女性を連れてきた。「你會說漢語嗎?」(あなたは中国語を話せますか?)と聞かれた。「我會!我會!」(話せます!話せます!)言葉がようやく通じて興奮しながら、私は答えた。彼女が通訳をしてくれて、国境の状況を説明してくれた。一年以上前から国境は閉鎖されていると言われ、ショックを隠せなかった。5時間もかけてここまで来たのに~という悔しい思いでいっぱいだった。

国境は閉まっているよ、と親切に教えてくれた地元の人たち
でも、地元の人たちが言っているのだから、間違いないだろう。私たちは悔しさを飲み込んで、同じ道のりでアルマトイに戻ることにした。乗り合いタクシーの運転手がずっと待っていてくれたので、彼の車でまずケゲンまで戻ることに。彼がバス停まで連れて行ってあげると親切に言ってくれたのだが、途中の交差点で車がエンスト、全く動かなくなってしまった。別の乗り合いタクシーでバス停と言われていたとこまで行ったが、そこはバス停ではなくガソリンスタンドだった。乗り合いタクシーが数台停まっていて、アルマトイ行きのバスはもうない、タクシーで行こうと言われ、うまく値段を交渉し、5人乗りのセダンに6人も乗り、なんとか4時間でアルマトイまで戻れた。到着は夕方の7時すぎ。ちょうど12時間前に同じバスターミナルからケゲン行きのミニバスに乗ったね、とYoshiと笑いながら軽い夕食を済ませた。

西側のアルマトイ・ビシュケクの国境は24時間開いているので、夜9時のバスでビシュケクへ行くことにした。ビシュケクの宿には電話をして、到着が夜中の1時すぎになってしまうが、大丈夫かと聞いたら、「部屋は満室だが、屋上で寝てもいいよ」と親切に言ってくれたので、とにかく、その宿へ行くことにした。カザフスタン側の国境へ到着したのが夜中の12時。バスを降りて、歩いて国境を渡った。出入国検査はとても簡単ですぐ終わった。キルギス側で同じバスが拾ってくれて、宿まで送ってくれた。到着は夜中の2時近かった。屋上にマットを敷いて、二人で、「終わりよければ、すべてよしだね」と言いながら眠りについた。